帰り道は物語が知っている

新しい仕事への通勤が始まった。3月1日が初出勤。3日まで働いた。

1日目は顔合わせ・オリエンテーションとボードゲーム会。ボードゲームは、初めてやるタイプのゲームで、勝敗があるわけじゃなくて、みんなで協力という名の心理戦を繰り広げながら成功を目指すシステムのものだった。ざっくりルールを説明すると、お題が一つ決まっていて、1~100までの数字のカードが配られる。カードの数字に合うような「お題」の回答をして、裏向きでテーブルに並べる。全員が並べたカードの数値がきれいに並んでいれば成功! という遊びだった。 ちなみにわたしは「就活中の大学生がつきたいと思う仕事」で99が当たったので「無職」、「友達になりたいと思う人」で48位だったので「クラスTシャツをつくろうと言ってこないやつ」とか言いながら並べた。性格と人生観がそれぞれ出るゲームで面白かった。 2日目からはそれぞれの業務に。私は出版の仕事をするので、2月中に作り終えた本の印刷を開始した。入念にデータを作ってあったのと、リソグラフの機械が思っていた以上に素直なので、作業はかなり進んだ。

新しい仕事の開始に伴って、電車通勤をはじめた。毎日通うところに電車を利用するというのは実は高校生以来で、四捨五入すると20年ぶりだ。電車は高校時代のぎゅうぎゅうづめとは違って余裕があって、ゆっくり座って往復ができるから読書がはかどる。 八束さんの「かくして、少女は死と踊る」を夢中で読みながら三日間通勤した。

「かくして、少女は死と踊る」は、少女小説だ。義足の少女ユリアナは、ある日国家反逆罪の疑いで、学生生活を取り上げられてしまう。彼女を連行するのは美貌の軍人クラエス。ユリアナは後見人の足跡や感情をたどり、希求しながら物語の核心へと迫っていく。 ウェブで連載されているお話なので、章立てが小さく別れていて電車でも読みやすい……のだが、毎章毎章ユリアナが大ピンチに見舞われて「大丈夫なの?! ねえ、ユリアナは大丈夫なの!?」とハラハラしながら見守るハメに。それでも、物語のなかでユリアナという少女はとても大切にされていて、ピンチにも安心して身を委ねていることができた。「自分の尊厳を守るとは?」「他者と共に歩いていくには?」ときに必要な「拒絶」もしっかり表現されている。少女期に、この物語に出会い、耽溺することができたのなら、ユリアナの強さとクラスの誠実さは、一生の友になってくれるだろうと思った。 そう、物語というのは、人生の岐路に立たされたとき、わたしたちの選択や決断、ときに断念に、大きな力を添えてくれる。あのときユリアナはこう決めた、クラエスはここで一歩、引いた。それは大切な大切な指標の一つ。わたしはもう35になってしまったが、この物語から得たものは、これから先の私に手を差し伸べてくれると思う。 ユリアナとクラエスは「味方になる」という協定を結んだが、読者とこの物語も、「味方になる」という協定を結ぶことができる物語だった。

読書に耽溺しながら、最初の一週間を終えて、ようやく連絡がきたカメラを受け取りにいった。部品の流通が滞っているそうで、修理までに1ヶ月を要したが、とてもきれいに直してもらえていた。 鳥写をはじめてから、カメラのない生活というものがなかったから、帰ってきたということ、手元にあることにうちひしがれるようなくらいの安堵があった。

これからまた、たくさん写真を撮ろうと思う。

小説は、5月の文フリ東京で500円くらいで売る本の推敲作業に取りかかろうというところ。印刷所など悩むこともおおいので、早めに終わらせてしまいたい。 次の物語にも取りかかりたい。AセクAロマのコウノトリの幻想小説を書いている。9月ころに、これは本にしたいと思っている。 ほかに、『幻想生物保護官日記』を書き出したときにカメラに関して無知だったからかけなかった密猟者と動物写真家の物語をすこしだけ書き始めた。

これはいつになるかわからないけれど、ぼちぼち書いて行けたらいいなあと思っている。 やりたいことは多い。電車通勤になったし、昼休みもゆっくりできそうなので、小説を書くことと読書の時間は、以前よりも多くとれそうだ。 一ヶ月の療養の効果も出ているようで、体調も安定している。

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